母の日なので 母の思い出を少し…
父についてはグダグダ書きましたが 母も負けず変な人で毒親でした。
さておき金の亡者だったと思います。
服もモノも買わない。物持ちが良いと言えば聴こえは良いが 壊れた物をビニテやヒモでグルグル固定しただけの(直ったとは言わない!)物がいつも視界にチラチラしてみすぼらしい。
服がお下がりなのはデフォルトで どこかからもらってきたお下がりを兄が着て そのお下がりを着せられるので男の子の服ばかり着てた。
ウルトラマンのスウェットにスカートとか謎の組み合わせになる事も多かった。
持ち物も普通に買ってくれれば良いのに わざわざ大人用の使い古しや お菓子の缶なんかで代用されたりする。
理科の虫取り実習で皆で近所の沼に行く日は アミの代わりに豆腐の空パックに棒つけたヤツもってって私はクラス中の笑い者になった。
私は家が貧乏だから仕方ないと思ってた。
ピンクの服なんて着たことない、いつでもチグハグでつんつるてんの服をきて 髪も短く他の女の子とまるで違っていた。
「お前は貧乏だから汚い 近寄るな」って皆から言われてうつむいてる毎日。
しかし大人になるにつれ 段々とウチは貧乏なのではなくケチなのだ。それも尋常でなく!と気づいてきた。
我が家は庭と駐車場つきの一戸建て。
母は薬剤師 父は外資系製薬会社に勤めていた。
子ども3人は公立大学や公立短大、私立短大へ進んだので 教育費も他家庭よりかからなかったはずだ。
最近70を越した母のフトコロについてはチラチラ聞くようになった。彼女は現役時代、手取り収入の80%を毎月貯蓄に回してたらしい。
ええ… ではあの幼い頃の心まで貧しくひん曲がった節約生活はなんだったの…
「そんなお金はない!」「そんな物はいらない買わない!」「お金を使うのは悪いこと!」と怒られる毎日はなんだったの…
家は貧乏だからとグッと我慢してこらえて流した涙はなんだったの…
彼女のお金だからアレだが、80%貯蓄に回す位なら…その時間、オソロイのエプロンでもつけて一緒にお菓子を焼くような親子になりたかった。
ちなみに自宅ローンは父一人で完済している(父…!)
母は異常なまでにお金を使わず貯めたが 70を過ぎても使い道がなく困っている。わてら子ども3人のマイホームへの援助とかしてくれれば良かったのに…!
旅行や家のリフォームを薦めたが乗り気にならない。健在のうちに寄付先をチョコチョコ探していれしい。
でも…幼少時の心に受けたキズの慰謝料として、相続時はしっっかりと受け取るつもり!